ADHD診断済みアラサーが、1年後に海外移住を成功させるブログ

2023年6月を目標にロンドン移住を実現させます

ベンチャーから大企業への転職成功しました

社会人4年目となる2020年、新卒として3年間働いたITベンチャー企業を退職し、今度はIT大企業で働き始めました。

 

どれくらい大企業かというと、日本に住む社会人であれば社長の名前を言えるレベル。あと球団も持ってる会社です。

 

 

新卒で入ったベンチャー企業では、
社員数:100人程度(子会社の海外拠点含むと1000人程度)
給与:業界相場よりちょっと上

だったのに対し、

転職先の大企業では
社員数:2万人(200倍)
給与:前職+150万アップ

となりました。


新卒で入ったベンチャー企業はアプリの受託開発です。

良かったところ
-風通しがいい
-Forbesに度々掲載されるなど、魅力的に見える

-裁量を持って仕事ができる

 

悪かったところ
-給与が低い

-残業が多い

-クライアントワークが大変

 

給与が低い点について、特に私は奨学金を借りているので、この点が大問題でした。
在籍中は、奨学金を減額支払いする始末でした。

また引越し資金がためられず、上京した際にとりあえずというつもりで借りたシェアハウスからの脱出も、3年間できず終いでした。

これらが、とりあえずの新卒3年間は過ごせても、社会人4年目までは迎えられなかった理由です。

 

大企業に転職後は(職種は前職と同じ)、細かいルールが多いなどのあるあるな大変さはありますが、
給与アップしたので全く問題ないです。

 

よくベンチャーvs大企業のように比較されますが、資本の影響は大きいです。

 

私からするとサラリーマンにとって会社は親のようなもので、お金のある家(大企業)の子ども(サラリーマン)は少ししかお小遣い(給与)しかもらえず、貧乏な家の子どもはお小遣いが少ないままです。でも親と違って就職先は選べるので、やりがい等検討してベストな道を選ぶのが良いのではないでしょうか。

 

ベンチャーでは少ないパイを社員で奪い合う必要があるため、昇進による大幅な収入アップは見込めないと考えた方が良いでしょう。ちなみに私は転職したことでベンチャー企業でのマネージャーと同程度の給与になりました。マネージャー、娘さんが2人もいたけどずっとあの会社で大丈夫なのかな…と勝手に心配してます。

 

ブログではぼちぼち転職経験談を書いていきたいです。転職後、めでたくADHDと診断されたのでその話も。

xyz0624.hatenablog.com

 

ブルーカラー層出身の地方文系院生が国家I種(国家総合職)試験を突破した話

留学前の就活について書きます。

私がこの記事を書こうと思ったのは、能力云々よりも「やるかやらないか」「場面場面でベストを尽くすか」がその後を大きく変えるということを伝えたいからです。

はじまりは突然に

2014年5月、国家総合職の一次試験に合格しました。

友人に誘われて受験したため、受験したことすら忘れていました。もし二次試験に合格すれば霞が関の官庁参りと聞き、眩暈がしたほどです。

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待ち受けていたのは

戸惑いつつも、せっかく合格したんだしと合格者向け説明会に足を運びました。そこでとある省庁の職員から「うちには女性の職員がたくさんいますよ」とパンフレットを渡されました。

女の私にとって職場に女性が多いことのメリットがわからずいましたが、2次試験会場でその謎が解けました。試験会場に来た合格者のうち女性がたったの1割しかいなかったのです(院卒者枠・九州ブロック・院卒者枠)。

男だらけの職場で圧倒的マイノリティとして働かなければならない霞が関はやはり居心地がいいものではないはずだ、とぎゅうぎゅう詰めのエレベーターの中で考えました。思えば、これがフェミニズムとの出会いだったのかもしれません。

一方で、説明会で知ったこれからの日本の歴史を作る仕事には魅力を感じずにいられませんでした。

気づいたこと

この試験を受ける以前に、政治とは縁がないものとして「お上は何をやっているんだか」と、想像力を働かせることなく口にしたことがないとは言いません。

県庁に入れればいいか〜くらいに考えていたのにいきなり「官僚」という選択肢を突きつけられた私の慌てようは、「エヴァに乗れ」といきなり言い放たれた碇シンジのテンパり具合と同じようなものでした。

実際に合格通知を手にしても「公務員試験ってあみだくじで決めるんだっけ…」と半信半疑。「わ、私がプリキュア!?」って感じでした。世代的にはセーラームーンですが。

逃げちゃダメだ、なんて考えはしませんでしたが、ひたすらに「自分には無理」と呪文のように唱えていたのは他でもない自分自身だと気付きました。

Girls just want to have fun

Cindy Lauper Girls just want to have fun

youtu.be

応援歌を胸に、就活でもなんでも楽しんで、もらったチャンスは活かし切りたい!と吹っ切れました。

結局、国家総合職の2次試験は不合格。

捨てる神あれば拾う神あり、文部科学省のトビタテ!留学プログラムに採用され、一年間のフランス留学へとつながったのでした。

追記(2022.08.06)

この記事は留学中に書いたものですが、今思えば親の職業や地方出身という生まれ持った属性に囚われてたんだなーと思います。

今となっては国家公務員には頼まれてもならない(ブラックで非効率、海外で働くスキルも身につかないため)ですが、当時の自分にとっては理想的職業だったのでしょう。

当時の自分に、そんなものよりもっといい将来が待ってるぞ、と声をかけてやりたいです。

今の自分が一番お気に入りです。

xyz0624.hatenablog.com

自己紹介

一記事目です。

 

平成生まれのアラサー。

院卒。休学、留年、留学を繰り返し27歳でIT系ベンチャーに新卒入社。今年社会人3年目。

 

入社2年目で産業医発達障害では?と疑われメンタルクリニックへ。

諸々検査受けるも発達障害、という診断には至らず。

 

上司やメンターのおかげでなんとかなっているものの、現状を変えたくなんとなく転職活動開始。

 

勢いをつけるためブログ開設。

【2021.4追記】

2020.5 転職成功

2021.11  正式にADHDと診断される

 

自己紹介

一記事目です。


平成生まれのアラサー。

院卒。休学、留年、留学を繰り返し27歳でITベンチャーに新卒入社。今年社会人3年目。


入社2年目で産業医発達障害では?と疑われメンタルクリニックへ。

諸々検査受けるも発達障害、という診断には至らず。


上司やメンターのおかげでなんとかなっているものの、現状を変えたくなんとなく転職活動開始。


勢いをつけるためブログ開設。